「昭・・・・」

気がつくと地下室の入り口に兄が居た。

「昭、その手の薬包は・・・・砒素・・・・・」

そうであって欲しくないという声。哀願に似た声。

「昭よ、父上は、今度こそ本当に耄碌されてしまわれたのだ。認めたくないだろうが事実なのだ。たまには、正気に戻ることもあろう。だが、父上は昔の記憶の中で生きているのだ。王宮の犬猫は、もうほとんどが崩れてしまったよ。麻沸散が効いていたのかはわからんが、皮の下は蛆虫がわいて居て大量の蛆が血肉の代わりをして生きているように見えたようだ。麻沸散の薬効で蛆が涌くのが遅かったようだな。
その荀令君もいずれ朽ち果てるだろう」

それでは、父上の努力は何だったのだ?

「おや、お前さんは誰だったかな・・・・あ、兄上ではないですか。仲達は今日も勉強が進みました。見てください」

子供の頃の記憶に戻ったのだろう。自分の息子を兄の伯達と間違え、今度は四書五経を諳んじ始めた。私は、泣いた。父が葬儀で号泣したように泣いた。悲しみを表現するのに、他に方法が思いつかなかった。荀令君の閉じた瞼の下から、見えるはずの無い双眸が語りかける。

(私は知っているのですよ)と。

外では陰鬱な雨と息子の奏でる胡弓の重い音がした。


〜完〜


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