視力も弱り、塵など見えるはずもないのに父はまるで見えているかのような事を云い、孫である炎を子である自分と間違える。妻であり、俺の母である張春華を亡くしてから、その兆候は目に見えて現実であることを語った。もう、以前のようなお芝居ではなく、父は本当に痴呆の症状を表していた。狼顧の相と言われた父特有の狼のように用心深く振り向く様を見せていた以前の軍師らしさの影は、今は見出せなくなってきた。

炎などは『おじいちゃまは、螺子が取れたからくり人形の様だ』と嫌悪をあからさまにする時さえある。その度に俺は(世の父親はこうやって笑ってやるのだろう)と炎に微笑む。俺は、父の笑顔を見たことはない。顔の筋肉を歪めて笑っているように見えるその時も(お父様は、また演義しているのだろうか)と不安になる事が多かった。

昨日まで笑顔で迎えていた同僚も、自分の邪魔をしそうになると謀略で消す父を見てきた

俺には父の笑顔は酒屋の親父と変わらないのではなかろうかと感じてきた。

全てが演義なのだ。自分の手は汚さず、消した相手の葬儀に平然と行き、声を上げて泣き女顔負けで泣く。父の泣き声は、その場にいる武官達の涙腺をも緩ませ、人を眉一つ動かさず殺すことの出来る彼らを号泣させる。


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