「遅き弾き手」と渾名される男の琵琶はゆったりと流れる。清廉な男の性格を現す様に、何処か涼しげで、聴く者の耳に心地好い。男は緩やかに、しかし実際は物凄い速さで琵琶を掻き鳴らしていた。「遅き弾き手」の名は、滑らかなその調べを揶揄したものであるが、それは決してゆったりと演奏されているものでは無い。男の演奏技術が、聞く者にそう錯覚させるのみに過ぎないのだ。

男の卓抜とした技術も、しかしどこか繊細さより、荒々しさを際立てる。眠りを誘う様なその音楽が、しかしどこか人を圧倒する要素を含んでいる様に感じられる。清涼感の中に、僅かな辛味が隠されている様と表現すべきか。優れた技術では隠しきれない、武人としての本質を何処か醸し出していた。

「遅き弾き手」は、名を夏侯惇という。

後に魏の前将軍となり、死の直前には大将軍を任じられる闘将である。「遅き弾き手」の他にも、「鉄の公爵」、「古い血統の肝」等、多くの異名を持ち、建安時代の能れた軍人として後世に名を残す。猛将にして仁将であり、驍将にして智将であり、雄将にして謀将である、魏の宿将。魏志には、「太祖常同輿載、特見親重、出入臥内、諸将莫之比」と記されている。

しかしそんな男も、今は徒の一将軍に過ぎ無い。

 

啖睛猛将雖能戦
中箭先鋒難久持
──「三国志演義」第十八回 賈文和料敵決勝 夏侯惇抜失啖睛──


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