曹操の数ある長所の内の一つに、人材登用に重きを置き、適材適所を知っているという事がある。麾下随一の行政手腕を買われ、後方支援を担っていた棗祗を見れば、それが非常に良く解る。

東阿の令、潁川の棗祗は、清潔公正という評価で知られた人物である。陳留での挙兵以来、夏侯惇とは苦楽を共にして来た信頼のおける仲間であった。堅実で実直な常識人で、仕事は手抜かり無く正確で間違いが無い。農耕に明るく、測量や地理にも詳しい彼は、算数も異常に速かった為、曹操は野にその才の埋もれるを惜しみ、帷幄に参入させ軍吏の長とした。軍政の才極めて優れ、事務処理能力では並ぶ者を夏侯惇は他に知らない。棗祗は兵站輸送の専門家でもあり、又、軍律の整備にもその能力を遺憾無く発揮した。厳格に過ぎる事が欠点と言えば欠点だし、神経質な所は確かにあるが、それが軍内では良い意味で発揮されている。今回は呂布軍に寝返る者の多い中、県を巧く纏め、「務めは廉慎以って封彊を守り、端重にして形勢を全うすべし」と、攻め寄せた陳宮をも退けているのだ。陳宮といえば稀代の戦術家。徹底した規律を敷く棗祗がこの采配を執ら無かったならば、これ程の難事は乗り切れなかった事であろうと、夏侯惇は考える。東阿は今も、戎警の考えが確固としており、委積も多い。県令を選ぶ際、曹操は適切な人選を行ったのだと、そう感じていた。


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