「荀氏の一門を始め、王必、侯声、厳象といった者を重用した事が原因でしょう」
「ううむ。連中と公台は反りが合わなかったからなぁ」
夏侯惇は反省した様に頷く。というのも、曹操は無能な者達を多く用いていたからである。夏侯惇も棗祗も、それ等の人に仕事の邪魔をされた事は多い。そして、この人事に猛反対をしていたのが陳宮であった。
曹操は、全く軍事の事を解らぬ者に、軍務の要職を預け、執行させていた。陳宮は、知識階級の押し付けがましい徳行や、民衆の支持を狙った過激な思想を厭う男である。曹操を、血縁や世襲制を軽んじ、個人の能力を重視する男と信じて附いてきた陳宮にとって、曹操の人事は到底納得のいくものでは無かった。白刃の下を潜った事も無い懦夫達が、さも識った振りをして虚勢を張り、諄々叨々と軍略云々を語る事を、陳宮は大声で批難した。この為、陳宮と曹操の中は次第に険悪となる。それで遂に曹操は、陳宮に刺客を放ったのである。最早陳宮謀畔は当然の成り行きであった。しかし刺客を放たれた事実を知らぬ二人にさえも、陳宮に同情する要素は多くある。それ程に曹操に因る無能な人の任用は多く、陳宮と曹操の仲は深刻だった。
しかし曹操も、使いたくて無能な人々を用いている訳では無い。それは無能な人々に虚名が有る為に過ぎないのだ。