曹操はその宦官の孫という出自の為に、名士と呼ばれる人々からはその存在自体が卑しいと蔑まれていた。その家系の為、彼は清流派を自称し気取る輩からは憎まれていたし、軽蔑されてもいた。しかし曹操と雖も、無用の敵は作りたくは無いのである。その為にどうしても名士と呼ばれる人々を用い、清流派の印象を好くする必要があった。風評という敵を弱めたかったのである。それで仕方なく、実の無い名士を多く採用したのだ。それは、陳宮の様な奇才とでさえ引き換えにせねばならぬ程の、大事な辛抱であった。
本来の曹操の性質は、忌み嫌われる宦官の孫という劣等感の為、人の家系や血筋を問わないものであったし、格式ばった権威に諂わない潔いものだった。陳宮が綬を釈き、中牟から力弱き曹操に同行したのも、清流を厭い、清峻、通脱であった事に感動した為なのである。本来の曹操は能力主義者であるのだが、しかしそれさえも曲げねばならぬ程に、名士という曹操の敵は強大だったのである。曹操は耐えて無能な者を重く用いる事を決定した。陳宮には、この曹操の苦渋が見えていなかったのである。陳宮という男の視野の狭さであろう。
「まぁ、陳将軍の事は宜しいでしょう。つい口が滑りました」
と、棗祗が微笑み、夏侯惇に頭を下げた。只でさえ落ち込んでいる夏侯惇に考えさせる話では無いと思ったのだろう。そう考えた夏侯惇は、棗祗の気遣いを嬉しく思った。