夏侯惇は傍らの司馬、韓浩に対して命令を下した。

「聞いての通りだ。少々急ぐぞ。両側衛にも警戒を怠るなと伝えろ」

頷き韓浩は配下に指示を出す。このまま進めば、前後から張遼の騎兵を挟めるだろう。しかし夏侯惇には、そんな簡単に事が済むとは思えなかった。

徐州から引き上げた曹操軍は現在、頓丘にて補給を行っている。その曹操軍本隊の休息中に、呂布軍への威力偵察を行うのが、夏侯惇率いる嚮導旅団の任務であった。

徐州から引き上げた曹操軍本隊は先ず、寿張、須昌と制圧した後に范に帰還すると、そこで再編成と一時の補給を行った。帰還に先んじて東阿には、東武陽の奪還等が指示されていた為、この本隊補給の間夏侯惇は、管理自営の機能を持った嚮導隊六千を率い、東阿から東武陽までの経路を確保する。その後、曹操軍の第一次目標が、濮陽の奪還と正式に発表された。曹操軍の本隊が范に到着する頃に、西進した夏侯惇は頓丘を陥落させ、東武陽からの後方連絡線を確保する。以後は、頓丘から第一目標である濮陽への交通を整え、敵情を把握するのが、嚮導旅団の仕事であった。

呂布は僅かの間に一州を手中にしながら、東平国にその戦力を集中させている。亢父、泰山の街道を封鎖せず、強く護るべき拠点も強くは無い。その主力の殆どを、濮陽に置いているのだ。呂布軍は確かに秀でた戦術家の集団ではあるが、矢張りそこに戦略眼というものが無い。そこに漬け込む隙がある、というのが、曹操軍の考えであった。


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