夏侯惇はここで一旦兵を止まらせ、左右の側衛だけを楽進の救出に向かわせた。無理に橋の奪取に拘れば、西南に構えた敵と激突し、双方大きな被害を出すだろうと考えたからだ。敵は迅速にして利兵でしられた呂布配下の戦士達である。仮令橋を奪取できたとしても、被害甚大では意味が薄い。

夏侯惇は右前方、戦太鼓を鳴らす西南側の敵に対し、鉤行陣を採る。鉤行陣とは、横陣の一種であり、その両端を後方に曲げた守勢の為の陣である。後衛を任せていた王朗の一個大隊を切り離し、これを前衛とした。王朗指揮下の大隊は元々済北国の兵で、呂布の軍程では無いにしても、突破戦術に優れた機動をみせる。前衛を任せるにはもう王朗しかいない。呂布の軍を相手にするのである。適材を適所に配置し堅く守らねば、脆く崩される事は必至だった。

「報告」

「うむ。述べよ」

軍吏の言葉に夏侯惇は短く促す。

「本隊の接近を察知し、張遼の兵は速やかに逃走。現在楽都尉の大隊は李黒、趙庶率いる各々百名、計二百余りを防ぎながら陣形を維持し、竪陣で緩やかに後退中。間も無く路李両校尉の側面挟撃位置。前方西南に陣取る敵主力部隊、依然として戦太古を鳴らしつつ、本隊との距離変わらず臨戦体勢です」


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