敵の弩の数よりも、こちらの兵数の方が多い。故に、要は敵の一斉射撃にこちらの勢いを止められる事がなければ、こちらの勝ちなのである。夏侯惇にとっては、第一射の轟音に怯まない事こそが、最重要であった。それさえ凌げば勝算は高い。
敵前方の射兵は、有効射程距離が近づくと、緩やかに右に動き北側に回り込もうとする。竪陣は側面攻撃には脆い。しかし夏侯惇はそれに構わず、後方の敵百五十騎余りを目指し、速度を鈍らせなかった。敵の一射目直後への突撃は、最初から満寵に任せるつもりの夏侯惇である。敵の機動は想定通りであった。
敵の矢が全て別の目標に命中し、一射一殺をしたとしても、敵の矢の数よりもこちらの方が多い。予想される実際の被害は全体の二割強から三割というところか。この射撃の後に側面から突撃を受ければ、脆く崩れるしか無いが、後方には満寵の三百が控えて居るのである。撃った後の敵は、満寵に始末させれば容易に蹴散らす事が出来るだろうと思う。側面を晒したとて、勝機を知る夏侯惇に怯む理屈は無かった。
敵の縦隊五十が、夏侯惇の竪陣一百の進路から外れる。夏侯惇は満寵を信じ、敵の百五十騎余りだけを目標に、配下を駈けさせる。突撃の為に、勢いを殺す事をしない。最早見る事すらしなかった。
有効射程距離に竪陣が達する迄接近した時、騎馬弩兵は速度を緩め左を向く。夏侯惇の竪陣は左前方を、完全に弩弓兵の横陣に晒した形となった。解っていて対処しなかったとは言え、非常に危険な形である。夏侯惇とて、無防備な側面から徂撃されるのは、流石に恐い。無論自身の身を危険に晒す事も恐いし、指揮下の部下を危険に晒すという事も恐い。そして何より、自身の失敗が、率いる嚮導隊四千を窮地に陥れる事が恐かった。しかし、これを夏侯惇自身が恐れていては、士気に関わる。士気が下がれば突撃は必ずや失敗し、恐れている事が現実になるのだ。