それでこれには

「左に構うなぁ!」

と怒号を発して、気を紛らわせるしか方法はなかった。尤も、矢は避けねばならぬし、全く構わないつもりは無い。

夏侯惇の率いる一百騎の蹄は、同じ拍子で地を叩く。先頭の青毛も、続く栗毛や鹿毛も皆、夏侯惇が緩めないのであるから速度を緩めない。敵に側面を晒して尚加速した。

「撃て!」

号令の後、左側から殷々とした弦音が鳴り、矢が放たれる。それは案の定、陣の先端が集中して狙われた。その騎射は、弦が空気を震わせる音だけで人に恐怖心を与えるような猛射であり、小谷の急流の様に灌がれる、細いながらも的確な猛撃であった。弦音はその弦の張力を表す様に高音で、しかも音圧が高い。戦場を響き渡るその音に、訓練された軍馬も怖気づきそうになる。その射撃全てが、人の乗る高さに向けて発せられており、その騎乗する人を殺傷する目的で放たれている事は疑いなかった。馬の足に当たる様な幸運を期待した射撃では無い。精悍な兵士に因る、精巧な兵械を用いた、精密な騎射であった。

敵の徂撃は、夏侯惇をも襲う。否、その体躯の為に最も的にされたと言っても良い。只でさえ先端を敵は狙っているのである。指揮を執る体格の良い男が、第一目標とされぬ筈が無かった。


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