翌朝、身支度を整えた私は、馬を一頭賜わ って城門までやってきたが、今後どのように身を振ろうかと考え込んでしまった。
 すると、驚いた事に将軍が見送りにやって来た。私は正直に、考え倦ねている事を将軍に話し、教えを乞うた。
 「儂は陛下、文帝(曹丕)、それより以前には劉璋殿と云う方に仕えていた。その三名を比ぶれば、第一は文帝、陛下が第二、劉璋殿が最も劣るであろう。しかし、儂にとっては文帝と劉璋殿は一緒である。陛下だけが特別なのだ」
 突然の告白に驚いたが、それ以上にその内容に驚いた私は、思わず聞き返した。
 「何故、陛下だけが特別なので?」
すると、将軍は涼やかな表情で答えた。
 「陛下だけが『公衡、其方はどうしたい?』 と聞いて下さった。主であると同時に友であったからだ」
 それを聞いて私は、心の曇りが晴れたような心地がした。
 「決めました。私は蜀に帰ります」
 将軍が頷くのを見て、私の心はいよいよ固ま り、継いで述べた。
 「私には、才覚は無く、男の根も無く、将軍のように国家の大計を考案する事は出来ないかも知れません。ですが、主が聖人であれば手足となって働き、並であれば諌言をし、愚物であればせめて善い気分を途切れさせぬように務めようと思います。其れ故、場合に よっては名は悪名となるやも知れず、長年に渡って将軍にお仕えした『白』の名を用うには抵抗があります。願わくば、『白』の意味を転じて『皓』と名乗ることをお許し頂きたいと存じます」
 将軍はそれを黙して聞いていたが、フッと微かに笑うと
 「許す。併せて黄姓を名乗る事も許す。其方は今日より『黄皓』である」
と、頭を撫でてくださった。

 私は何度も何度も分かれを告げて、西へと向いて馬を歩ませ始めた。


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