だが、それは、いたずらに城壁上の弩弓手の標的となるようなものであった。
 驟雨となって降り注ぐ無数の矢に、蜀兵らはことごとく射抜かれた。
 さらに、王平は右肩と背に太矢を浴びて、昏倒した。すかさず張嶷がこれを救出したが、
「やむなし──!!」
 無念の判断を成すや、残った手兵をすばやくまとめ、自陣へ退いたのであった……。


 この様子を傍観していた、魏の降将、今は諸葛亮孔明の側近である姜維が、愕然と色をなして、
「カク昭の戦いぶりは、まるで雲梯の弱点を看抜いておるようにござる……!!」
 叫ぶように云った。
 漆黒の四輪車にあって、白羽扇をそよがせる孔明は、冷ややかに、
「……カク昭は、雲梯の構造を承知致しておる」
 そう呟く。
 すなわち──。
 雲梯は、その後部に、鉄の長梯子を吊り上げていく、太綱が巡らされているが、実は、この太綱は駆動部にも直結しており、これを断ち切られると、まったく操縦不能となるのであった。さらに、後部に張り合わせてある鉄の板は薄く、ここを一撃すれば、雲梯は地に立てた棒を倒す容易さで、崩壊するのであった。
 常々、孔明はこの後部の補強を急務と考えており、このたびの北伐で雲梯を持ち出したものの、これを使用する存念はなかったのである。
 姜維は、孔明がなぜ、未完の雲梯をにわかに用いたのか、理解に苦しんだし、それが何か思案があっての様子ではなく、憎悪怨恨に突き動かされての、衝動的な要因であるように思え、師と慕う丞相・孔明には、かつてない失策である──と、悲しくも断言できるのであった。
 果たして、カク昭は、その弱点を見事に衝いて、三十騎の手勢と共に、雲梯後部の太綱を断ち、車体の薄板へ一撃をくれながら、二十台すべてを破壊して回ったのであった……。
 だが、なぜ、孔明が多年に渡り、極秘裏に発明した攻城兵器である雲梯の構造を、カク昭が知っているのか?
 その構造、及び欠陥を知る者は、同じ蜀中にあっても、ほとんどいないはずで あった。

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