ついに──。
馬忠、高翔は無数の衝車を引具しながら、ただの一撃も発揮することができず、虚しく引き揚げるよりなかったのである。
両者は、丞相・孔明より烈火の憤怒を浴びせられる覚悟をもって、敗退の復命を成したが、孔明は、冷たい眼光を彼らに向けたのみで、すぐに張苞、関興の若武者を招き寄せ、
「貴公らは、井闌をもって敗将らの汚名を挽回してもらいたい」
その執念の程を明示したのであった。
さすがに、これに僚将のひとり、馬岱が反駁した。
「丞相、もはやカク昭護る陳倉を陥落せしめるは、無念ながら諦めるよりないと心得ます。これ以上の攻城は、さらなる屈辱を重ねるばかりであるという事は、丞相におかれましては、十分にご推察なされておりましょう!!……まずは、一隊を陳倉の抑えに残し、本隊は、太白嶺を越え、キ山に出づる道を採られてはいかがでありましょう?」
だが、孔明は、それには静かにかぶりを振り、
「陳倉は確かに要害強固であり、ここに鎮するカク将は古今無類の名将と云わねばなるまい。……しかし、いま、ここで我が蜀漢の将兵が、三度まで攻めて攻勢を控えるならば、天下における強弱の評において、蜀兵弱しの侮蔑を蒙るは、明瞭である。先帝の遺命を奉じ、蜀漢の鋭鋒当たるべからざるを示すこたびの戦い、決して引くことは許されぬこと、諸将も諒解のはずである」
「されど、このまま攻撃を続行致せば、さらなる損害を蒙りまする!!」
「馬岱──」
孔明の双眸が、明らかに軽蔑の眼差しと化した。
「貴公は、今は無き驃騎将軍・馬超の一類でありながら、その勇武の百分の一も受け継いでおらぬ臆病者であったか──。我が蜀軍に、左様な惰夫は必要ない。どこなりと去るがよかろう」
冷然と云い放った。
幕下の将に、ここまでの冷徹を、かつて示した事は、孔明にはない。
周囲の諸将も、姜維はじめこぞって馬岱をかばい、また彼自身、
「そこまで申されるならば、ぜひそれがしも攻め手にお加えくだされ!!」
と泣くように請うたので、
「ならば張、関の若武者に代わり、貴公が参るがよい──」
氷の冷たさで、そのように申しつけ、さっさと幕舎の影に消えてしまった……
。
>>次項