「将軍──。キン詳なる蜀の使者、追い散らしまするか?」
 室外から言上する部下に、カク昭は、
「……会う」
 と短く応えた。
 カク昭の病の事は、陳倉城内においても、ただのひとりも知らぬのであった。
 彼は、懐から干し飯を出し、それを数粒口にふくんだ。すると、削げ落ちていた頬がふくらみ、美しかった顔の輪郭がよみがえった。
 また、入念に化粧を施して、黒ずんでいた肌へ、再び精彩を生んだ。
 体には、何枚も着衣を重ねて、骨と皮ばかりとなった痩躯を、感じさせぬようにした。
 人前に出るとき、カク昭は、人知れずこのような手間をかけねばならなかった 。
 しかし、このときのカク昭には、わかっていた。
 ……もう、おのれの命は、数日も保たぬであろう事が──。


「久闊であります──」
 蜀陣から遣わされたキン詳は、現れたカク昭へ、微笑を送りながら云った。
 しかし、それを受けるカク昭の態度は、氷の冷ややかさであった。
「幼きころより、ご貴殿は美しかったが……今また、このように面晤の機を得られたことを、うれしく思いまする。……いや、実にお美しい」
 容貌に対しての賛辞を述べるキン詳は、しかし、自身も美男であった。
 むろん、カク昭に及ぶべくもないが、それでも、その美青年ぶりは、漢中や成都においては、宮中市井を問わず、女人たちの間で、噂の的となってかしましか った。
 年は、カク昭より二つばかり上であった。
「キン詳殿──」
 対座するや、カク昭は、キン詳にはそっぽを向いて、窓外へ視線を送りつつも、彼の名を呼び、
「貴公が参られたわけは、当方は承知いたしておる……。諸葛亮の頭脳も、もはや衰弱の兆しが顕であると云わねばなるまい」
 傲然と云い放つカク昭の面前で、キン詳は、額にいくつも脂汗を浮かさねばならなかった。

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