いまも、孔明の四輪車を押しているのは、キン詳という、見目麗しい少年なのであった。
「カク昭か……、そなたの胸中は察する。されど、同じような境遇に身を置く蜀の民は、この戦乱の世、いくらでもおる。軍政両権をこの一手に任されている私が、そなたのみを救済する不公平を成すことはできぬ」
「…………」
「約束いたす──。数年を経ず、必ず、そなたらのような父子が、困惑せぬような、よき国を造ってみせよう」
「父は……数年も生き延びられませぬ……」
 双眼を真っ赤にしながら、悶えるように応えたカク昭に、
「聞き分けよ!!」
 と吼えたのは、キン詳であった。
「これ以上の公務の邪魔立ては許さぬ!!」
 キン詳は、無理矢理にカク昭を引っ張りあげると、力任せに群集の中へ放り込んだ。
 キン詳は孔明のカク昭を見詰める眼差しに、自分には薄くなってきた欲情の色を見て、嫉妬したのであった。
 そのまま、隊伍は静々と進み始めた。
 カク昭は周りの人々に抱え起こされ、気持ちは分かるが滅多なことはするんじゃない、と諭されつつ、去りゆく孔明の四輪車を凝視してやまなかった。


 その夕刻──。
 楊宗邸の厩舎で、懸命に父・カク順の看病を努めていたカク昭を、屋敷の門番が呼んだ。
 呼ばれてゆくカク昭の小柄な後姿を、熱に潤んでぼやけてしまった視界に入れつつ、カク順は、なにか不吉な胸騒ぎに駆られた。
 ──い、いくな!!
 心のうちで、必死に絶叫するのだが、ふっと辺りは闇となった。また、意識を失ったのである。
 表に呼ばれたカク昭の面前に、キン詳がいた。
 彼は、カク昭の居所を探し、江州随一の豪商・楊宗が馬小屋を貸し与えていることを聞きつけ、現れたのであった。
「孔明様が、おまえに会いたいそうだ」
 キン詳は、美しい眉目に夕陽を浴びながら、云った。

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