しかし、カク昭は誤った。
 彼の父・カク順は、むろん人足という賤民であった。だが、その父としての気概は、たしかに高潔であったのだ。
 自分の元にやってきた江州の誇る幾人もの名医も、一粒千金ともいわれる高価な丸薬をもたらした薬商も、彼はすべて追い返した。
 かわりに彼が行ったのは、屋敷の主・楊宗に、
「……む、息子は、……どこに?!」
 と、まるで亡者が生きるものを取り込まんとするように、しがみつくことだった。
 はじめ、楊宗は手を振って相手にしなかったが、彼も、かつて幼い我が子を病で失った過去があり、ふと哀れに思い、またカク昭の孝心を聞けば、カク順も素直に治療に従うであろうことを期待して、
「孔明様の元におる」
 と、口を滑らせたのであった。
 その夜のうちに、カク順は楊宗邸から、その病躯を消した。


 三日後──。
 江州の視察を完了した孔明は、次の都市へ出立する事にした。
 隊伍の中央で、漆黒の四輪車を押すのは、その近侍のひとりとなったカク昭であった。
 不浄の身となって、あえて孔明に追従することを決めたカク昭の心残りは、父になんの連絡もなく、別れねばならぬ事であった。ただ、父は貴人に施される治療をなされ、病は必ず快方へ向かうであろうし、一年ばかりのち、孔明は自由の時間を与えるという約束もしてくれた。
 ──会いに行こう、一年ののちに!!
 強く心に誓って、かれは主人を乗せた四輪車を押しつつ、江州の大門をくぐるのだった。
 と、──そのときであった。
 大門近くの民家の屋根に、不意に、細い黒影が沸いた。
「伯道ッ!!」
 影は、整々と隊伍を崩さぬ巡視隊へ向かって、カク昭の字を叫んだ。
 たちまち、孔明らを見送るために集まった江州の人々は、その影を指差しながら騒然となった。
 影は、カク順にまぎれもなかった。
 骨と皮ばかりに痩せ細りながら、両眼だけは、炯々と輝いているカク順は、まるで悪鬼のようであった。
 ──父さん!!
 カク昭は、父の、さらに悪化した病躯をみとめ、愕然となりながら、ただ瞠目して動けない。


>>次項