東の上空から真っ黒な雲の様なものが肉眼でもはっきりと確認できる速さで、こちらに向かって来ていた。雲と違い、明らかに高度が低く、耳障りな音を携えている事から、それが何なのか、皆にもすぐに理解できた。

 「い・蝗だぁ!」

 誰かがそう叫ぶと、兵達は我を忘れ、近くにいる壁や、民家に飛び込んでいった。蝗の大群はすぐに鉅野の町を一気に飲み込んでいった。逃げ遅れ、体中に張り付いた蝗に剣を振り回す者、中には口の中に蝗が入ったのであろう、呼吸困難に陥り喉元を押さえて卒倒する者の姿も見える。

 夏侯惇は、まともに開けられない目を何とか細目に保ちながら、構えを崩さずに趙神を睨んでいた。趙神もまた再び切っ先を地面につけていたが、夏侯惇と違い彼の両目は先程と同じく普通に開けられ、笑顔は崩さぬままだった。その時蝗が趙神の開け放たれた目の中に突っ込んでいくのが見えた。それでも趙神は瞬きする事もなく、ただ夏侯惇を見て笑うだけだった。

 「…化け物が…」


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