誰に言うでもなく、夏侯惇は呟いたが、彼に悪夢が襲ったのは次の瞬間だった。蝗のせいで見えなかったのであろう。自分の顔面を目指して矢が飛んで来ている事に直前になって気が付いた。咄嗟に夏侯惇は顔を傾けて避けようとした。が、短刀は夏侯惇の右目を捕らえ、夏侯惇は叫び声と共に、目を右手で押さえて苦悶した。押さえた右手の中指と薬指の間からは突き刺さったままの矢の独特の黄色い羽が見え、夥しい出血が凄惨な現場に彩りを加えた。
「おのれ、卑怯だぞ。」
夏侯惇はさらに顔を硬直させ、肩膝を付いた状態で、趙神に吐き捨てた。趙神は夏侯惇の姿を見ながら、彼が戦闘状態にないと判断し、不知火を背に返し、彼から背を向けた。
「いかなる理由があろうと、一瞬を争うこの場で目を瞑った時点でお前の負けだ。」
そう言って趙神は蝗の大群の中、姿を消した。夏侯惇は何度も、待てと叫んだが、趙神が戻ってくる事はなかった。蝗は血の臭いに刺激され、さらに夏侯惇を取り囲んだが、夏侯惇は目を打たれた衝撃と、その激痛にそれを振り払う事さえ忘れ、ただ片膝をついた格好のまま、悶絶するしかなかった。