文鴦は、しかし、まったく女人に対する興味を持たなかったわけではなかった。
 むしろ、その性への欲情は、常人をはるかに凌いでいた、と言ってよい。
 三十の壮年を迎える今日なお、女色を知らぬかれの脳内にあって、『女』というものへの関心は、破裂寸前の風船のごとく膨らみ切っていたのである。女性を憎むことこの上ない反面、異常なまでの性欲の鬱積が、文鴦をして、ときに狂乱せしめようとするのであった。
 深夜──かれは野獣となって、寿春の街衢を徘徊すること、三日と空けることはないのである。(寿春とは揚州の本拠であり、文欽・文鴦父子は、この城市で揚州全域を統括する役目を担っている)
 ただ、幸いにして、いまだ、か弱い娘を手篭めにする蛮行を、犯したことはなかった。
 たしかに、かれが、暗夜不気味に闇を蠢くのは、女人を求めてのことであったが、実際に女人を見とめても、決して近づくことのできる文鴦ではなかったのも事実であった。
 尋常でない武勇を具備していながら、また、女人への情念は荒れ狂うほどに蔵していながら、かれは、幼児から根付いた、その『女』という生き物への恐怖を、払拭できないのであった。
 もっと言えば、その性情はきわめて善良な文鴦であった。
 力をもって弱者を虐げるおこないを、心の奥底では唾棄したいほどに憎む正義漢なのである。そのかれが、強姦をなして獣欲を満たすなどは、到底無理であると言わねばならなかった。
 それがゆえに──。
 文鴦の煩悩は激しく膨張し、かれは悶え、苦しむのである。
 一世の名将にふさわしい器量を備えた人物も、その容貌の醜悪さゆえに、精神の苦痛は、他人にはまったくわからぬほどに大きい日々を、送らねばならないのであった。


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