反逆者の一族を抹殺後、かれは文武百官を呼集するや、冷然と言い放ったのである。
「この司馬師、永らく丞相の位にあって、常々思っていた一事がある──。それは、我らの陛下のことにほかならない!太祖武帝から興った魏朝に君臨なさり、万民をお導きになられる器量は、残念ながら皆無といってよい!天性愚昧にして、およそ天子たる資質と大徳を備えておられるとは、到底思われぬ!なぜなら──」
 居並ぶ諸官を、じろりと見回してから、
「丞相たるこの司馬師を、夏侯玄らに密かに命じて、除かんと図られたことを見ても、明白であろう!我が父・司馬懿仲達、ならびにこの司馬師、弟・司馬昭が、魏のために、身命を投げ打ってどれほど貢献して参ったか、諸人のうちでも知らぬ者はなかろう!もはや、玉座を降りていただくほかないが、これに異議ある者は、申し出るがよい!」
 堂上は、静まり返ったままであった。
「よし!」
 司馬師はほくそ笑むや、すぐに玉殿にあがって、曹芳におのれの佩剣を突きつけて、伝国の玉璽を引き渡すよう迫ったのであった。
 こうして──。
 曹芳は廃されて、東海の定王・曹霖の子で、高貴郷公・曹髦が次代の天子に迎えられた。
 まさにこれは、宮廷内に、司馬師の独裁が完成したようなものであった。
 この横暴を、辺地にあって見守っている武官の中で、我こそ義軍となって旗を挙げんとしているのが、呉国との境を固めていたカン丘倹であり、文欽・文鴦父子なのである。


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