果たして、娘は名乗った。
「わたくしは、逆臣によって滅ぼされた、太常卿・夏侯玄の娘にて、華蓉と申します……。文鴦さまのお父上、文欽さまには格別のご温情をたまわり、このように、今日生きながらえる幸運を得られましたこと、ありがたく存じます」
 熱を帯びた視線を、さらに強く文鴦に当てながら、
「文鴦さまは、お父上さまに、司馬師誅戮の義挙を、思いとどまらせた、と聞きました……。司馬師は、魏朝もっとも憎むべき賊子にございます!これを除かんと願い、正義の旗を上げるは、憂国の忠臣であれば、当然ではありませぬか?!わたくしの父、夏侯玄もまた、司馬師の専横をよしとせず、これに対して剣をふるったひとりにございます!……事やぶれ、わたくしもこのように文欽さまの庇護をお受けする身となりましたが、忠臣の娘として、奸賊に一矢報いんとの願いは、ただの一日も忘れたことはございませぬ!……文鴦さま!」
 華蓉は、その美しい頬に涙を落としながら、文鴦の裾にとりすがろうとした。
「や、やめろ!」
 あわててふり払う文鴦に、
「もう一度、お父上さまに申していただきとうございます!司馬師打倒の兵を興し、都に押し上る──と……!」
 決死の嘆願をくりかえす華蓉、そして、その側で彼女を守ろうと警戒心をむき出しにして、こちらを睨みつける侍女・思紗。
 文鴦は、醜い相貌をいっそう歪めながら、したたる脂汗をぬぐいもせず、
「い、いま、司馬師と戦うは早計である!戦えば、必ず敗れる!……機は、熟しては、おらぬ!」
 わめくように言った。
 すると、今度は、華蓉の表情がすぅーっと変化した。
 氷の面でも付けたかのように、冷えびえとした、無表情にかわった。
「文鴦さま……」
 可憐であった華蓉の声音は、突如、暗くよどんだ。


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