こうして──。
カン丘倹ら淮南の反乱勢は、文鴦の活躍によって、わずかの期間でその規模を一挙に拡大せしめたのであった。
また、カン丘倹は、その嫡子・カン丘甸の言を容れて、太后の偽密詔を作り、これをおのれの檄文と共に、各地へばら撒いた。
これを偽りと看破した者も多々あったが、鵜呑みにして反乱軍に馳せ参じる者も、少なくなかった。
ひとつには、
(──これは、あるいはカン丘倹の側に分があるのではないか?!)
 と諸侯に思わしめるほど、反乱軍の勢いが盛んであった証拠でもある。
 いよいよ、風雲が、淮南に流れ込んでいると言ってよい──。


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