鍾会は、魏の元老であった鍾ヨウの末子で、幼少の頃から抜群の知力を誇り、今は司馬師の寵を得て、側近のひとりに上げられる人物であった。
「カン丘倹ならびに文欽は、勇猛ではありますが、共に智謀に優れているとは申せませぬ……。さりながら、いたずらに時をおいては、叛軍に増長の機運を与え、その勢力はふくれあがりましょう」
 鍾会はかしこまりながら、
「ここは、やはり丞相が向かわれませい。一挙に謀反人どもを制圧致すは、魏国、ならびに丞相のお力が、強固にして揺るぎなき事、天下にお示しになられる良き機会と申せましょう」
「鍾会!何を申す!丞相のお身体では、南征の師はあまりに過酷ぞ!」
 憤怒する王粛に、鍾会は冷笑を送りつつ、
「されば、王太尉には、丞相のかわりに誰人を叛軍鎮圧の大将にせよ、と申されるか──?」
「そ、それは……」
「カン丘倹と文欽は、確かに智者ではござらん!また、左右に良き軍師を得てもおり申さん!されど、それがしは、かの者らを侮ってよい、とは一語も述べてはおりませぬぞ!ましてや、その勇武においては、魏の中でも屈指と申してよい!さればこそ、江南(呉)に目を光らせねばならぬ要衝の地・淮南を統べる役目を担っておった両名ではござらんか!」
 一気にまくし立てた鍾会は、さらに語気を強めて、
「丞相以外に、この擾乱を見事に平定しうる人物は、いまの魏国にはおりませぬぞ!」
 その大喝を浴びせた。
「もうよい──」
 司馬師は手をふって、
「やはりわしが参ろう……。この病、都で養生したとて、快方に向かうとは思えぬ。それよりも、淮南の賊臣どもを相手に、わしの最後の力を見せ付けてくれよう!」
 死神を迎えつつある蒼白の面貌に、昂然たる自信をみなぎらせる司馬師であった。
 かれは、侍臣を遠ざけるや、実弟の司馬昭ひとりを枕頭へ招いた。
 司馬昭は、兄の手をおのれの諸手で覆いながら、
「兄上!無理はせぬがよい!淮南へは、それがしが参る!」
 諫止の言葉を吐いた。


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