司馬師のいる汝陽の本営では、次の戦略について、諸将が激論を戦わせている。
 ある者は、新たに得た南頓を拠点に、周辺各郡を制圧すべしと説き、ある者は、いまカン丘倹が篭もる項城を取り囲み、兵糧攻めを行うよう進言し、ある者は、別働隊を組んで、一挙に敵の牙城・寿春を衝くべき、と声高に言い立てた。
 しかし、その採決をとるべき司馬師は、ここ数日、軍議に出席してはいない。いよいよ死期が迫ったか、満身に激しい疼痛が起こり、寝台から起き上がることすら出来ないでいたのである。
 その命数が尽きず、なんとか生きながらえているのは、かれの持つ、常人をはるかに上回る強靭な意志あるがゆえであった。
(──此度の乱を鎮め、我が司馬一族の強権の程を、天下に明示してくれるまでは、絶対に死ぬわけにはいかぬ!たとえ死神が敵となって我が前に立ちはだかろうと、必ず討ち払ってくれるぞ!)
 呪文のように、その思念を繰り返す司馬師であったが、しかし、忠義の魏臣は、宮廷内におけるこれまでの無道が、死病の報いとなって、かれを苦しめているのだ、と見て取っていたのも、事実であった。
 某日──。
 司馬師の体調が、にわかに小康を得て、かれは、正午過ぎには、上体を起こせるようになり、白湯も飲めるようになっていた。
 このことを知った中書侍郎・鍾会は、すぐに面会をもとめた。
 通された鍾会は、司馬師の皮膚の色が、どす黒く染まり、眼窩が落ち窪んで、すでに死相があらわになっていることに、内心で驚きつつも、それはおくびにも出さず、
「我が軍が次に狙わねばならぬ、重要な拠点がござる!」
 と言上した。
 しかし、司馬師は無表情のままに、なんの反応も示さない。
 やや怪訝を感じた鍾会であったが、
「楽嘉城こそ、南頓の次に獲らねばならぬ要地にござりますぞ!」
 そう述べたのである。


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