この事態を冷ややかに受け止めた文鴦は、特に言葉もなく、本営を退出したが、一抹の不安をぬぐえなかった。
(──南頓は、必ず奪わねばならぬ衢地であること、カン丘倹めは分かっておるのか?!)
 自陣に帰り、何度もその思いにふけるにつれて、やはり自分も向かった方がよい、と判断した。
 負けるわけにはいかないのであった。華蓉との輝かしい未来は、茫洋としてひらけているべきである。このようなところで、頓挫するわけにはいかないのであった。
 しかし、カン丘倹は、うんとは言わなかった。
(──こやつ、甸の武功を横取り致すつもりか!)
 かれの胸中で、その憎しみが湧く以上、文鴦の出撃は不可能と言えた。
 ようやく文欽が戻ったのは、五日ののちであった。
 事情を聞き、すぐに文鴦を向かわせるよう頼んでくれたが、しかし──。
 ついに許可を得て、軽騎部隊を引具した文鴦、疾風となってカン丘甸のあとを追ったが、ボロボロの惨敗姿で遁走してくる味方に出くわし、
「嗚呼!……やはり遅かったか!」
 と、無念の呻きを洩らさねばならなかった。
 カン丘甸が南頓付近へ到着したところ、すでに同城は、城外にまでびっしりと、大地を埋め尽くす陣屋が立ち並んでいて、手出しのしようがなかったのである。言うまでもなく、それは司馬師の命を受けた王基の大軍であった。
 さらに、カン丘甸がむなしく引き揚げようとしたところ、にわかに左右の山野に鯨波が起こり、草木すべてが兵と化して、猛然と襲ってきたのである。
 王基の埋兵による奇襲を浴びて、カン丘甸とその五千の手勢は、惨憺たる敗北を喫し、その四分の三を失う大損害を蒙ってしまったのである。
 文鴦が、逃れる味方を収容し、稲妻となって王基の奇襲隊へ躍り込み、なんとかこれを退けたが、南頓を抑えることは、完全に不可能となった。


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