昂然と胸を張って、文鴦は言い放った。
「司馬師が着陣したならば、我らはトウ艾の軍勢をよそに、一挙にその本営を衝き申す!こちらは寡兵なれど、鍛え抜かれた精鋭のみの五千騎にござる!神速をもって強襲いたせば、病躯をおして征野に現れた司馬師を屠るは、さまで難事ではござらん!」
 果たして──。
 三日後、司馬師の中軍が楽嘉城に現れた。
 軍には、白旄黄鉞が掲げられ、総帥の存在を示す虎帳が設けられて、司馬師がそこにいるのは、間違いない事実であることを証明していた。
 司馬師としては、楽嘉城の攻防こそが、この戦いにおける最大の激戦と化す──そう見ていたのである。
 この戦いの指揮を執ることが、おのれが成しうる最後の仕事であることを、かれは予感していたのかもしれない。
 五里の距離をとって、山野に埋伏していた文父子は、司馬師出現を見届けて、すぐに行動に移った。
 すなわち──。
 文欽は、三千五百騎をもって、南の小山を迂回して、司馬師中軍の南面を狙う。一方の文鴦は、残る一千五百騎の壮士を引具して、北方から、矢となって敵陣に突入し、混乱を引き起こす役割を担った。
「ことの成否は、今宵三更(午前零時)に至って、父上とそれがしが、司馬師の陣へ、同時に突き入ることが叶うか否かにより申す!」
 文鴦の言葉に、
「応!誓って仕損じはせぬぞ!」
 と、胸を叩く父・文欽であった。


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