闇夜である──。
 月は、厚い雲に覆われて、その光を地上へ送ることができずにいる。
 文鴦は、しかし夜目がきく。
 墨を流したような暗黒の中を、巧みに愛馬を駆って、司馬師の中軍の北側へ回り込んでいた。
従えるのは、淮南の精鋭騎士、一千五百である。
 文鴦が疾駆を停めて、隊伍を突撃の陣形に移したのは、ある岩山の中腹に登ったときであった。
 無限に広がる敵陣が、眼下の闇の底で、わだかまっている。
(──この決戦をもって、必ず司馬師の首級を上げるのだ!そして、そしておれは、華蓉を生涯の伴侶として、死ぬまで愛しむぞ!)
 決然と胸裏で誓った文鴦、戞と蹄を鳴らしたかと見るや、まっしぐらに敵中へ躍り込んだ──。
 魏軍の側では──。
 まさか、たった一千五百騎で夜襲が仕掛けられようとは、想像だにしていない。諸陣のほとんどが、戦闘の仕様を解いて休息をとっていた。
 たちまち──。
 攻め入られた中軍北陣は、大混乱に陥った。
 敵がどの方角から、またどれだけの数で侵入して来たのか、見当もつかぬままに、ある者は半裸で槍だけ持って飛び出したし、ある者は裸馬に鞍を乗せようと駆けずり回ったし、ある者はどこかで小さな騒動でもあったのだろうと、たかをくくって身を起こそうともしなかった……。
 文鴦は、まさに無人の野を往くようであった。
 闇夜を切り裂き、つむじ風よりも速く、文鴦隊は司馬師の本営を目指し、驀進した。
 文鴦の長大な鉄鞭が唸りを上げたとき、そこには、必ず顔面をかち割られた数個の屍体が転がった。


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