なおも──。
 文鴦の快進撃は止まらない。
 敵右翼へ飛び込めば、そこに砂塵と血煙が噴き上がり、敵の中備えに埋没したと見るや、わっと喚声と悲鳴が起こり、次の刹那にはもう敵左翼へ突入し、たちまち潰走させて、なお余力にあふれていた。
 鉄鞭はいくつも折れて、すでに用意していた最後を打ち振るう文鴦であったが、その気力は、いささかも衰えを見せない。
 それどころか、敵の返り血を浴びるにつれて、かえって闘争心が湧き起こり、新たな獲物を求めて、餓狼となって戦場を奔馳するのであった。
 ただ──。
 文鴦の心中は、けっして、敵を打ちのめす快感に心を躍らせているわけではなかった。
 いま、かれの心の中で燃えたぎっているものは、やはり、ただ一念──華蓉への愛情のみであった。いや、そればかりではないであろう。華蓉という美姫の、その肢体の、色、匂い、感触──それに対する猛烈な肉欲こそが、いまの文鴦の果てしない原動力にほかならないのであった。
 血なまぐさい戦場を駆けながら、文鴦の目に映るのは、ただ一晩──あのときに味わった、妖艶な秘め事、そのことだけであった。
 それにしても──。
 気がかりなことがある。父・文欽であった。
 文鴦の立案では、同時刻に、南北から司馬師の軍を夜襲しなければならない。北からはおのれが、そして南からは、父・文欽が、軍の主力である三千五百騎をもって、突撃する手筈なのである。
 文鴦が烈火の突貫を成して、すでに数時間が経過しているが、いまだ、南の陣地では変化が見られないのである。
 いかに文鴦とその手勢が阿修羅の働きを示しても、三万を超える司馬師中軍が相手では、衆寡敵するところではない。時間が過ぎれば過ぎるほど、敵は十分に態勢を整えて、反撃に移るのである。
 すでに、共に戦う一千五百騎のうち、その半数は斃されていた。
(──父上はいかがされた?!このままでは、敗れるぞ!)
 文鴦の胸中で、その危惧が台頭している。
 同時に、華蓉のなまめかしい姿も、ぼんやりと薄らいでいくようであった。
 この決戦に敗れれば、華蓉をおのが腕に抱くことは、二度とないのである。
「うおお!嫌だ!華蓉は、華蓉はおれのものだ!必ず、必ずおれのものとしてくれるのだ!」
 悪鬼の形相で、文鴦は、さらに敵中深く衝き入るのであった。


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