父・文欽は、ではどうしたのか──?
 かれは、引き連れた主力の鉄騎部隊三千五百と共に、大きく南方を迂回して、深山の中にあった。
 月光届かぬ森の中で、文欽が方角を失ったのは、無理からぬことと言えた。
 すぐに地下の者を雇い入れて、道案内をさせたのだが、ようやく木々が消えて、広闊たる原野を見出したときには、すでに文鴦と交わした手筈の刻限から、一刻あまり過ぎ去ったあとであった。
「よし!一挙に敵陣の南を衝くぞ!早うせねば、息子が危うい!」
 焦燥を隠せぬ文欽は、馬の尻を激しく打った。
 ところが──。
 ものの一里も行かぬ間に、突如として、背後に一彪の軍勢が現れた。
「む?!これは!」
 愕然となる文欽をよそに、今度は真正面の疎林から、巨大な大薙刀を構えた若武者が、さらなる一隊を従えて行く手を阻んだ。
「我はエン州刺史・トウ艾が一子、トウ忠である!逆賊文欽!観念してその首を預けよ!」
「おのれがっ!」
 吼えながら、文欽は長槍をしごきつつ、猛然とトウ忠めがけ突進した。
 さすがに勇猛を誇る文欽だけに、若く逞しいトウ忠を相手に、一歩も引けをとらぬ槍さばきを披露した。
 しかし、挟撃を受けた文欽隊は、ほとんど潰滅状態であった。
 暗闇の中、不意を食らった三千五百騎が、いかに鍛え抜かれた精鋭であったとはいえ、隊伍を寸断されて防戦の態を成さぬままに、砕け散ったのは当然であった。


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