途中、慎県というところにたどり着いたとき、県令の宋白という人物が、
「此度の将軍の壮挙、それがしは密かに同調しておった者のひとりにござる!どうか、我が領内で身を潜められませい」
 と合力を申し出てくれたので、かれはほっと一息ついた。
 ところが、宋白が催した酒宴に出席したとき、にわかに指のさきまでしびれて、体の自由を封じられた。
「むむ……!毒酒か……?!」
 酒器をかき乱して倒れ込むカン丘倹を、冷然と見下しながら、宋白は、
「謀反人をかくまう訳にはいきませぬ──。これも定めと、諦められよ」
 と言い放った。
 カン丘倹は、無念の形相凄まじく、なおも立って佩剣をふるわんとしたが、屈強の壮士数名に、前後左右から槍を突き通されて、血泡を噴いて息絶えたのであった。
 また、司馬師の方も──。
 諸将の活躍で反乱を見事に制したものの、いよいよ命数極まり、都に帰還してすぐ、その息を引き取ったのである。
 覇権は、弟の司馬昭が継承した。
 司馬昭は、兄を凌ぐ知略の所有者で、以後、司馬氏の権勢はますます増長強大化するのであった。


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