梅が、可憐に咲き誇っている。
その、小さな滝つぼのほとりにあって、ひとり、年のころ四十過ぎにも見える年増の女が、無心に冷たい飛沫をあびて、寂しげなまなざしを水中の小魚に向けている。
それは、華蓉の侍女、思紗であった。
彼女は、不意に、懐から短剣を取り出し、鞘を払った。
血斑と、脂が、その白刃に浮いている……。
と──。
人の気配がした。振り返ると、ボロ布をまとった、小柄な、妖怪じみた男が、恐ろしい顔でこちらを睨みつけて、佇立していた。
「あっ──!」
慌てて逃れようとする思紗を、その妖怪──文鴦は、すかさず取り押さえて、
「このおれを、たばかったな!」
と怨言を吐いた。
「華蓉は、すでに他人に嫁しておったではないか!」
すると、思紗は冷笑を浮かべつつ、
「そなたのような化物に、姫様がお体をお許しになる道理がないわえ」
「こやつ!」
文鴦は、怒りに任せて思紗を叩きつけようとしたが、しかし、それをぐっと思いとどまって、
「華蓉はどうした?!──今からでも、おれは華蓉のために戦い続ける覚悟はあるのだ!」
激しく思紗の体を揺さぶりつつ、問うた。
だが、思紗は、今度は急に顔色を暗くして、何も応えなかった。
文鴦は悟り、
「此度の義挙の失敗を聞き、自害したのか……」
その呻きを洩らした。
そのとき、一陣の風が、音立てて流れた。
無数の梅花が散って、景色を薄桃色に染めた。